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【コラム】 吉田奈緒子|“ギフト”がつくる循環 アイルランドの「カネなし男」が引き出した、ローカルな経済圏の可能性

イギリスでフリーエコノミー運動を創始したマーク・ボイル氏の著書翻訳をし、“半農”暮らしを営む翻訳者の吉田奈緒子さんによる、「お金を使わず豊かに生きる」を実践するギフトエコノミーの考え方についてのコラムです。
(この記事は2022年12月14日(水)に発売された『XD MAGAZINE VOL.06』より転載しています)

吉田奈緒子(よしだ・なおこ)
1968年、神奈川県生まれ。翻訳者。千葉・南房総で「半農半翻訳」の生活を送り、蛇腹楽器コンサーティーナでアイルランド音楽を弾く。訳書に、マーク・ボイル『モロトフ・カクテルをガンディーと:平和主義者のための暴力論』(ころから、2020年)、マーク・サンディーン『スエロは洞窟で暮らすことにした』(紀伊國屋書店、2014年)など。

おすそわけと自然界の贈与

10月はじめ。黄金色に輝く田んぼに立ち、今年の実りに感謝する。よく研いだ鎌で、ザクッ、ザクッ、と刈り取った稲を、昨年のワラでギュッとたばねたら、竹組みの稲架(はざ)に掛けて天日干し。乾燥が進むにつれ、うっとりするような匂いがただよう。
 東京で働いていたころに出会った夫と16年前に房総半島最南部へ移住してきたのは、「お金に負けない農的暮らし」(槌田劭著『歩く速度で暮らす』より)を求めてのことだった。食は命の基本。最低限の食べ物さえ自給できれば、たとえ先々なにが起きても、お金のために節を曲げたりせず生きていけるはず。
 以来、人の縁と豊かな環境に恵まれ、主食の米だけは100パーセント自前でまかなえるようになった。他方、当初意気込んでいた夢の自給菜園づくりは、諸事にかまけて後退ぎみで、農産物直売所の存在に助けられている。新鮮な地場野菜が豊富にそろい、おサイフにもやさしい。

自分で育てる、直売所で買う、と並んで日々の食卓を支えるもう一本の柱が、隣人友人知人から折々にもたらされる旬の食材。農業も家庭菜園も盛んな土地柄ゆえ、特に夏場は、次々と実をつける果菜類のいただきものが増える。冬~春の食用ナバナや初夏のビワといった地域特産物は、生産者も多く、市場に出荷できない規格外の品が大量に発生しては、親戚や近所へのおすそわけに回る。「たくさんもらったので」と、おすそわけおすそわけに浴するケースもめずらしくない。
 こうしたおすそわけの習慣は、金銭を介した「売買」とはもとより、金銭の介在しない「物々交換」とも根本的に性質が異なる。一家族では消費しきれぬ収穫を無駄にせず分けあうのが趣旨であって、直接的な見返りを得るための行為ではない。もらった人が喜べば、あげた人もうれしい。お返しがなされる場合も少なくないが、必須ではないし、即座になされる必要もない。「等価交換」の原理ではなく「贈与」の精神にもとづくおすそわけの応酬は、人びとのあいだに和やかな空気と精神的な結びつきを生みだす。

しかしそもそも、わが家の食卓をうるおしている贈り物は、おすそわけの品だけだろうか。自力で収穫を手にしたつもりの米にしても、実は自然界からの贈り物なのではないか?
 太陽、雨水、土壌微生物、ミツバチ……、自然界からの恩恵なしに農の営みは成り立たない。私たちもそれなりの労力を投入してはいるけれど、ひと粒の種モミが芽を出し、分げつをくりかえして、何百、何千倍の実を結ぶまでの過程全体において、人間の関与できる範囲はほんの一部にとどまる。部屋でPCに向かっているときも、あちこちへ出かけた留守にも、うまずたゆまず注ぎこまれる自然界のギフトのおかげで、稲は大きく生長する。その実りを、次は私たち人間がギフトとして頂戴するわけだ。
 栽培の労すらなしに受けとれる贈り物も忘れてはならない。夏みかん・梅・柿などの果実、放っておいても年々増殖するキクイモ、こぼれ種で育つシソ、自生のフキやタケノコ、等々。いずれも毎年欠かさず届く定番のギフトである。
 田舎の人が概して親切で気前がいいと言われるのは、日頃、自然界から気前のよい贈り物を受け取り慣れているせいかもしれない。

マーク・ボイルの無銭経済

そんなふうに「贈与(ギフト)」という観点から身辺日常をながめる癖がついたのは、ひとりのアイルランド人との出会いによる影響が大きい。
 南房総暮らしもそこそこ軌道に乗りかけたある日、旧知の編集者に「一銭のお金も使わずに生活する実験をしている若者がイギリスにいる」と教えられ、もうすぐ英国で出版されるという手記の原稿を見せてもらった。題してThe Moneyless Man。2011年には日本語版が、私のはじめての訳書『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(紀伊國屋書店)として世に出る。以後も一種の同志的連帯感を胸に、この「カネなし男」の著書を翻訳紹介しつづけてきた。その彼、マーク・ボイルがまさに、ギフトエコノミー(贈与経済)の唱道者にして実践者なのだ。

マーク・ボイル著『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(詳細は文中参照)

英国の港湾都市ブリストルに住んでいた20代終わり頃、気候変動、資源枯渇、南北間格差など、現代世界が直面する問題の根にお金の存在があると気づいたマーク青年は、お金のいらない相互扶助の社会をめざすフリーエコノミー運動を創始した。
 彼が提唱する「フリーエコノミー(freeconomy)」とは、モノやサービスを無償で分かちあうことによって人びとのニーズを満たす経済のしくみだ。お金や、その他の交換条件をつけずに、ただ各人ができる手助けをする。そのような贈与(与え合い)をコミュニティ内で循環させていけば、誰もが必要なときに必要な助けを受けられるだろう。貨幣経済が浸透する以前の人類社会のありかたに依拠して、彼はそう説く。当然ながら、弱肉強食的な自由市場(フリーマーケット)の原理とも、いわゆるフリーミアムなどのビジネスモデルとも、方向性がまるでちがう(したがって「自由経済」や「無料経済」とは訳さずに「無銭経済」の語を当てた)。
 フリーエコノミーの精神にもとづく分かちあいを橋渡しするウェブサイト justfortheloveofit.org(「ただ、そうしたいからする」の意)を彼が立ちあげると、1年もたたぬうちに180ケ国に会員を擁する世界最大のスキルシェア・プラットフォームに成長したという(現在はstreetbank.comに統合)。35,000人もの登録者が、自分のもつスキルや道具をお金に換えるのではなく、無償で提供したいと願ったのだ。

マークは翌2008年、マハトマ・ガンディーの教え「世界に変化を望むなら、みずからがその変化たれ」にならい、お金を全く使わない生活実験に乗りだす。身をもって証明しようとしたのは、お金がなくても生き延びられるどころか豊かに暮らせることであった。実際に彼は、カネなしの日常経験に照らして「与え合いの有機的循環」を感得する。

何の見返りも期待せずに惜しみなく与えていれば、かならず人からも惜しみなく与えられる。与えては受け、受けては与える、有機的な流れだ。この魔法のダンスに、地球全体の生態系は基づいている。(中略)たしかに、惜しみなく与え受けとる流れの中に身を置くには勇気がいる。ぼくだっていつもうまくいくわけではない。だけど、この流れに身をまかせているときが、ぼくにとって一番幸せな時間だ。
(前掲書pp.271-2)

公式実験期間の1年が過ぎる頃には、かつてない幸福感と健康な肉体を手に入れた彼(同書の表紙写真を見よ!)。最終的に3年近くも、完全な無銭生活を続けてしまった。

約10年の歳月を経た現在は、故国アイルランドの小村に仲間と建てた小屋で、電気や化石燃料で動く文明の利器をいっさい断ち、自給自足の生活を営む。「身の丈を超えた複雑なテクノロジー」に依存した過去の自身の運動手法に対しては批判の目を向けつつも、地域のコミュニティ(人間社会のみならず生きとし生けるものすべての共同体)に根ざしたギフトエコノミーを追求しつづける姿勢は、一貫して変わらない。最新の著書『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』(紀伊国屋書店、2021年)が描きだす贈り贈られる日々の風景は、グローバルな貨幣経済が末期的様相を呈する今の時代に、ローカルな贈与経済の可能性をかいま見せてくれる。

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