【インタビュー】レイザーラモンRG|自分だけの究極の価値にたどり着いた、スニーカー哲学
芸能界屈指のスニーカーマニアで、400足以上のコレクションを所有するお笑い芸人のレイザーラモンRGさん。独自に考案したスニーカーのファッションコーディネートを紹介する「キモ撮り」というポーズは世界中で真似され、 「スニーカー芸人」としてメディアやイベントにも引っ張りだこだ。
そんなRGさんだが、その“スニーカー道”には紆余曲折があった。青春時代に憧れたシューズを買い集めるも、その趣味の追求の仕方に自ら疑問を感じるように。探求すればするほど、自分の内面を掘っていくことになったという。
趣味を深く掘ったことで味わった葛藤。その苦しみを乗り越えた先で気づいた、RG流・スニーカーの嗜み方について聞く。
(この記事は2024年12月に発行された『XD MAGAZINE VOL.08』より転載しています)

レイザーラモンRG
1974 年生まれ。大学時代の友人であるレイザーラモンHGとお笑いコンビ「レイザーラモン」として活動。世間を切り取ったモノマネと「あるあるネタ」が人気。スニーカー、プロレス、バイク、バードウォッチングと幅広い趣味にも精通。2018年から3年連続で「スニーカーベストドレッサー賞」を受賞、殿堂入りを果たしている。
少年時代に憧れたスニーカーを買いまくる喜び
誕生から約150年が経ったスニーカーは、現代人の足元に欠かせない存在だ。初めはテニスやバスケットボールといったスポーツとともに進化してきたスニーカーだが、時が経つにつれて、ファッションアイテムとしても注目されるようになった。各メーカーがしのぎを削り、数多の名作が誕生した結果、スニーカーを収集するマニアやコレクターも生まれた。
芸人のレイザーラモンRGさんも、そんなスニーカーマニアのひとりだ。「◯◯あるある、早く言いたい~♫」と歌い、たっぷり時間をかけて披露する「あるあるネタ」や、独自の着眼点が魅力の「モノマネ」で知られる彼は、芸能界屈指のスニーカーマニアの顔も持つ。10年かけて集めたコレクションは、なんと400足以上にのぼるという。そのスニーカーへの憧れは、小学生時代まで遡る。
RGさん「子どもの頃から、近所のスポーツ用品店で見るスニーカーに憧れてました。当時は、運動神経の良い子が履く、カッコいい靴というイメージですよ。ぼくなんかはとても買ってもらえない贅沢品でした。高校生のときには『SLAM DUNK』の連載が始まり、バスケブームに。それから1984年に登場したナイキの『エアジョーダン』も日本で人気に火が点き、その後のエアマックスブームにもつながる。それでも自分にとっては、夢のまた夢でしたね」
1997年、相方のHGさんとともにお笑いコンビ・レイザーラモンを結成し、大阪で芸人になった。2005年、相方が「レイザーラモンHG」というキャラで一世を風靡すると、一緒に東京へ拠点を移した。
とはいえ、その時点ではRGさんはまだブレイクには至っていなかった。当時はABC-MARTの店頭ワゴンで買い求めたVANSが「一番お世話になったスニーカー」だったという。
そんなRGさんも、2014年にピン芸人のお笑い賞レース「R-1ぐらんぷり」に出場し、準優勝。HGの相方としてその実力を認められ、人気芸人の仲間入りを果たした。そして懐にも余裕が出てきたところで、今まで抑えていたスニーカーへの情熱が爆発したという。
RGさん「ぼくがいっぱしの芸人になった頃がちょうど、高校時代に憧れてた『エアジョーダン』の復刻モデルが次々と出た時期だったんです。『あれもあるんだ! これも出てる!』と、青春時代の欲望を叶えるように次から次へと集め出して。コレクションを自慢したいがあまり、Instagramにスニーカー写真をアップするようになりました」
スニーカー愛が爆発して生まれた「キモ撮り」
それが、2014年の後半。復刻スニーカーブームも相まって、投稿が追いつかないほどにコレクションは増えていく。
しかし、ただスニーカーを撮るだけのInstagram への投稿の仕方に、物足りなさを感じるようになる。そこで生まれたのが「キモ撮り」。最初はただただ自慢したくて投稿していたが、工夫を重ねた結果、この方法が生まれた。Instagramの正方形の画角に収まるように、しゃがみこんでスニーカーを目立たせながら全身コーディネートを見せるという、スニーカー好きなら誰もが知るこのスタイル。今では有名メーカーもこのポーズで、商品紹介を行っている。
RGさん「スニーカー単体の写真をアップしてる人はたくさんいたんですよ。でもぼくはファッションも込みで見せたかった。それであのスクエアな画角の中で、どうやったら全身とスニーカーを収められるか試行錯誤して、『キモ撮り』にたどり着いたんです。この名前は、一生懸命撮影してるぼくの姿を見た妻が『キモっ!』と言ったことに由来するんですけどね(笑)。
最近、とにかく明るい安村とか、チョコレートプラネットがオーディション番組で世界的にバズってますけど、ぼくの『キモ撮り』の方がずっと先に、世界中で流行ったんですよ! 『キモ撮り』は俺の特許だと権利を主張する気はないですけど、せめて語り継いでほしいっすね(笑)」

RGさんのInstagramアカウントには数々のコレクションを紹介する投稿がアップされている。「キモ撮りに特許とかはないので、みんな自由に楽しんでほしい。トヨタの社長がハイブリッド技術の特許を申請しなかったのと同じ発想です。でも、俺の発案ってことは頭の隅に置いて、ぜひ『#キモ撮り』のタグをつけてください(笑)」
コレクションの充実とともに進展していくキャリア
RGさんの生活はスニーカーを中心に回っている。一日は「今日は何を履こうかな」から始まる。400足もあるコレクションから選ぶため、時には1時間も2時間も思案するというが、その時間を「楽しくてたまらない」と話す。常にスニーカーのことを考え、その収集方法も紆余曲折を経て洗練されていった。
RGさん「新モデルの発売情報はもちろんのこと、中古品も集めたいので、インターネット検索はめちゃめちゃ上手くなりましたね。例えば『AIR MAX 95 Yellow Gradation』の情報が欲しいときに『エアマックス95』でGoogle検索してもダメなんです。そうじゃなくて、マニアやコレクターが使う『イエローグラデ』というワードをSNSで検索した方が、ナマの情報に出合いやすい。そうやって情報を掘っていきました。そのやり方は、本業のお笑いをやるときにも役立ってますね。
街行く人の足元は必ず見てます。やっぱり渋谷とか原宿を歩いていると、たくさん情報が入ってくるんですよ。でも、最近は東京駅や京都駅が、ぼくにとってのファッションスポット。インバウンドの観光客がマジでアツいんですよ!ぼくは動きやすいファッションが好きなんで、観光客の服装がベスト。スニーカーとファションをトータルで見て勉強してますね」
インターネットだけでなく、街も観察する。実際にスニーカーが履かれている現場にこそ、最も濃い情報が詰まっているからだ。
さらに、スニーカーの世界を掘っていくことは、仕事にもつながった。「キモ撮り」を積み重ねていった結果、Instagram のアカウントは世間に広く認知され、フォロワー数も現在は18万人を超えている。2018年にはRGさん初の書籍であるスタイルブック『KIMODORI』 (リットーミュージック社)も刊行。「スニーカー芸人」としてメディアの取材を受けたり、テレビ番組やイベントへの出演なども増えた。
RGさん「ぼくは『◯◯芸人』として定着することで、芸能界を渡ってきました。あるあるネタで知られると『このくだりで、あるあるをひとつください』とスタッフさんに言ってもらえる。役割が明確になると、ぼくもスタッフさんもやりやすい。モノマネもそうですよね。旬の有名人のモノマネを武器にすれば『ここで、あのモノマネください!』と注文が入る。どんな仕事の人でも『あの人といえば、◯◯だよね』と認識されるのは重要だと思います。そういう意味では、自分はワンポイントリリーフみたいな感じで、使ってもらえてますね」
立ち止まって考えた“究極の一足”
そうしてRGさんがスニーカーを買い漁ってきた2010年代中頃は、ハイテクスニーカーブームの真っ最中でもあった。90年代の人気モデルの復刻に加え、最先端の技術を投じた近未来的かつトレンドを押さえた多彩なデザインに、多くのスニーカーマニアが夢中となった。限定モデルは、インターネットでの抽選販売が当たり前になり、転売業者の餌食となった。レアモデルは数十万円で取引された。
しかし、そんな狂騒の渦中で、RGさんは疲弊していった。
RGさん「あの頃はスニーカーを買うのに、年間数百万円を投じていました。みんなが欲しがるレアモデルを手に入れては自慢してて……。
でも、だんだん疲れてきたんですよね。周りの芸人たちもお金を持つようになったら、何十万円もするスニーカーを買うようになって、あんまり自慢もできなくなったし(笑)。こんなにたくさん買い集めて、俺はどこに向かっているんだろうと。それで自分と向き合うようになりました」
そしてRGさんがたどり着いた答えは “毎日履ける究極の一足”に出会いたいという、シンプルなものだった。
RGさん「スニーカーを集めている人にもいろんなタイプの人間がいます。ハイテクスニーカーが好きな人、特定のメーカーだけを買い集める人、あらゆるスニーカーを収集して家に飾って楽しむ人……。ぼく自身はどうしたいんだ? と考えたとき、自分は日常的にスニーカーを履いて楽しみたいんだ、という原点に返りました。さらに思考を掘り進めたら、自分は『究極の一足』を探しているのだと気づいた。やっぱり、スニーカーは履いてナンボだろうと」
そんなRGさんが見つけた、現時点で最高の一足が、ランニングシューズメーカー「HOKA ONE ONE」の「BONDI8」だ。2009年にフランスで誕生したこのメーカーは、日本ではまだ馴染みが薄いが、スニーカーブームのシーンに突如現れ、高い機能性とストリートにもハマるそのスタイルで世界的な人気を集めていた。なぜRGさんはこのブランドに、魅入られたのだろうか。
RGさん「履き心地の良さに『なんだこれ!?』と驚きました。すごく厚底で、ふわふわなんです。同時に足首周りもしっかり固定されて安定性も高い。このBONDIシリーズは、ランニングシューズに厚底ブームをもたらしたほどのゲームチェンジャーです。
昨年ドラマ『VIVANT』 (TBS)が流行った際、主要キャラクターであるモンゴル人警察官・チンギスのモノマネを始めたら、そこそこヒットして、テレビやライブ、イベントなどにたくさん呼んでもらえました。BONDI 8は、防弾チョッキに黒の特殊スーツというチンギスのユニフォーム姿にも馴染むんですよ。おまけに移動中に履いてても疲れないし、漫才衣装のスーツに合わせても違和感がない。普段は365日、毎日違うスニーカーを履いていますけど、あの繁忙期はずっとBONDI 8を履いてたくらい。忙しいときでも、こいつさえ履けば大丈夫と思える相棒っすね」
趣味を掘って、自分を知る
2010年代のハイテクスニーカーブームは、コロナ禍前後に一段落する。「2020年頃に、みんながニューバランスを履き始めました」とRGさんは振り返る。
RGさん「長持ちして、どんな服装にでも合うニューバランスの良さを、みんなが再認識しました。それでハイテクスニーカーブームが一旦終わった。実際、ハイテクスニーカーって儚い趣味なんです。数年経つと、加水分解という化学反応で、ソールがボロボロになるから。そもそもずっと大事にコレクションするのに向かない趣味なんです」
唐突に落ち着きを見せたハイテクブームから、スタンダード回帰の潮流となってきた2020年代のスニーカーシーン。そんな慌ただしい変化の一足先に“相棒”を見つけたRGさんはスニーカーを集めまくった日々を振り返り、「戦いの10年でしたね」と笑う。
RGさん「年間数百万円も使っていたときは、戦国時代でしたね。他のマニアに負けないために、理論武装もしたし、コレクションも増やしました。その戦いに疑問を感じて今度は自分と向き合う戦いですよ。
でも、周りのスニーカーマニアと闘う日々を経たからこそ、自分が“日々の相棒”になるような究極の一足を求めていることに気づけたんですよね。だから今はもうトレンドや周りの評判にいたずらに悩まされない。戦いの時代から、自分の“好き”をひたすら追求して楽しめる平穏な江戸時代に入りましたよ。平和にスニーカー文化を楽しんでます」
掘ることには、いつか報いがある
がむしゃらに掘り続けた日々があったからこそ、今の安息がある。RGさんは、趣味のひとつであるバスケットボール鑑賞を例に、たとえ趣味であろうと、すぐに飽きずにロングスパンで楽しむことの効用を語ってくれた。
RGさん「ぼくはバスケットボールを観るのが好きで、ずっと見てきたんですよ。でもマジで全然報われなかったんです(笑)。日本人選手がNBAに挑戦しても、やっぱり世界の壁は高いし、国際大会でも結果が出なかった。それでもぼくは応援し続けました。そしたら今年のオリンピックで、日本代表が歴史に残る試合を見せてくれたじゃないですか。前大会で銀メダルを獲ったフランス相手に、延長戦までもつれ込む好ゲームをしてくれて、そりゃもう興奮しましたよ。日本バスケの苦難の歴史を知ってるからこそ、あのフランス戦の価値が分かるわけです。長年追い続けてきた人だけが味わえるご褒美があるから、こういう趣味はやめられないっすよね。
スニーカーもまさにそうで、今は低調でも、そのうちまたブームが来る。でもそういう世間の波に合わせないで、『究極の一足を探す』という自分のテーマを、マイペースに追求していくつもりです」
RGさんは「結局、なんでも続けるってことが大事なんですよね」と言いながら、相棒のHOKAを見つめる。
RGさん「芸人という仕事も、スニーカーの趣味も、楽しいから始めたことですけど、続けてると辛いことも当然あります。だけど、そこで投げ出さずに継続したからこそ、ご褒美のような瞬間が待っていた。まぁ続けてたら、自然としんどいことへの耐性もついちゃうんですけどね(苦笑)。だから掘り始めた人は諦めずに、とことん掘っていってほしいっすね。いつかとんでもないご褒美が絶対転がり込んでくるはずですから」
日常的に馴染みのあるスニーカーでも、掘れば掘るほど、マニアックな世界が広がっている。奥深いスニーカーの世界を知れば知るほど、「自分なんかが“マニア”を名乗るのは恐れ多い」と、自分の趣味にすら自信を失う。事実、RGさんはそうやって自分で自分の首を絞めてしまっていた。
それでもスニーカーに魅入られたRGさんは「自分にとっての究極の一足を探す」という、個人的な欲求に立ち返り、自分なりの向き合い方を見つけた。他人と比較して、自分はマニア度が劣っているとか、対象への愛が足りないんだと、塞ぎ込まなくていい。「掘る」という行為は、極めて私的な行為なのだから。
自分だけの愛のトンネルを掘る。ひとりきりで掘るのは、不安で孤独だ。でも続けていれば、いつかご褒美が待っている。その希望さえあれば、どこまでも掘り進められそうな気がする。RGさんのスニーカー道は、好きなものを“掘る”ことの、楽しさと孤独を教えてくれた。
取材・文/安里和哲 写真/濱田晋
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